NETFLIX今年秋に日本へサービス開始

 ハリウッドや日本の大作をはじめ、世界中のハイクオリティな映画、テレビドラマ、ドキュメンタリー、コメディー、そしてNETFLIXが独自に製作したオリジナル映画、ドラマ作品を低料金の月額定額制で提供する世界最大規模のエンターテインメント映像配信サービスのNETFLIXが今秋、日本へ参入することを発表しました。


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 NETFLIXはインターネットを通じた動画配信サービスを2016年末までに200カ国(現在は50カ国)に拡げていく計画で、3月からはオーストラリアとニュージーランドでのサービス開始が決まっています。日本でのサービス開始もその一環です。

 NETFLIXは全世界に5700万人の会員を持つ世界最大の動画配信サービスで、最近の調査では、米国内の全インターネットトラフィックのうち32~35%をNETFLIXのストリーミングが占めるとされ、その割合は徐々に増加傾向にあり、よく観られているといいます。北米市場でNETFLIX非対応の映像機器を販売することは、いまやまったく考えられず、「事実上の標準」の位置にあることはNETFLIXの強みの1つです。



 ネット接続機能を持つテレビの他、タブレット、スマートフォン向けに対応アプリがあり、またHDMI端子にプラグインできるNETFLIX対応ネット端末もあります。もっとも、単にネット配信で映像が楽しめるだけであれば、これまでも「アクトビラ」などの映像配信サービスがありますが、それらとは何が違うのでしょうか。

 すでに日本進出済みで日本テレビが買収したhuluとは方向性が違います。日本進出時にはビジネスモデルを小変更したhuluはフリーミアムを入り口にユーザーを集め、有料サービスへと誘導するタイプのネット放送局でした。扱う映像作品もコストの安い旧作が中心です。

 これに対してNETFLIXは、DVDやBlu-ray Discといった物理メディアが主流だった時代に、レンタル解禁と同タイミングでプレミアム映像を楽しめるようにしています。同じインターネットを使った動画配信サービスでも、出自が異なるわけです。

 現在は多くのオリジナル作品にも投資し、画質向上にも力を入れており、会員向けのプレミアムなコンテンツサービスであることを重視しています。北米ではNETFLIXとDirecTVが競って、動画配信サービス向けにオリジナル作品を制作しており、比較的少ない規模での劇場公開を前提に映画を制作し、間を置かずに動画配信を行うといった日本のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)でもみられる手法も試されています。

 放送局と同じようにオリジナル作品の制作に投資しても、契約者が増えるならば充分にペイするレベルにまで、NETFLIXのエコシステムは大きくなっているわけです。日本では「動画配信サービス大手」にしか見えませんが、その影響力は今やテレビ放送局よりも大きいともいわれています。


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4Kも展開中、そしてHDRも

 NETFLIXの影響力が高まっている理由は、視聴数の爆発的な増加だけではなく、最新の映像技術にいち早く対応出来る点も、放送局に対して特別な立ち位置を実現している理由です。NETFLIXは昨年より最新映像コーデックのHEVCを用いた4K映像の配信サービスを開始しています。ネット配信専門であるが故、15.6MbpsとNexTV-Fや「スカパー!」の4K CS放送に比べると低ビットレートですが、米国で販売されているほとんどの4Kテレビが対応しているため、放送局が対応できていない中にあって存在感を高めています。

 そして今年はHDR(High Dynamic Range)版の配信にも対応するとのことで、ハリウッド映画スタジオは年末に向けてHDRへの対応を進めており、とりわけワーナーブラザース、ディズニーといった大手が積極的です。

 受像機側は、東芝、PanasonicがNETFLIX対応液晶テレビを発売しました。ソニーも対応を発表済みですが、どのメーカーも同じように対応するでしょう。


リモコンのNETFLIXボタン(東芝)


 放送局もHDRには対応するものの、4K放送自身がまだ本格的に立ち上がっておらず、投資規模などを考えると独自にサービスの枠組みを拡大できるNETFLIXは、放送局にない独自の地位を築いています。

 日本でも4K配信が行われることが明らかになっており、アクトビラやNTTぷららなどの既存4K動画配信サービスなどとともに、4Kテレビユーザー向けには嬉しいサービスになります。米国での契約料金は月額8.99ドルで映画、テレビ番組とも見放題ですが、日本での料金については明らかになっていません。予想ではHuluと同じ1,000/月以下だと思われます。

 NETFLIXユーザーは、ブロードバンドインターネットの接続さえあれば、いつでも好きな場所からNETFLIX対応テレビ、スマートフォンなどの端末で映像を視聴することができます。自宅にいても外出先でも、たとえ動画を途中で一時停止した場合でも、でも、他のデバイスから映像の続きを楽しむことがきます。

 サービス開始と同時に利用可能になり、1カ月無料トライアルも実施する予定で、料金、番組内容、対応サポート機器などの詳細については、後日発表するとしています。



 いずれテレビはこのようなオンデマンド視聴が主流になるかもしれませんが、現在日本では地上波デジタル放送が主流で、最大の懸念は有料TV利用があまり広がっていないことです。衛星放送やオンデマンドは、「有料放送400万加入限界説」があるといわれます。スカパーは現在約341万の加入。dビデオがBeeTV利用者を含めない場合で429万の加入で、400万加入前後が天井となり、それより大きく伸ばすのが難しい状況です。NETFLIXが日本で成功するためには、対応テレビを持たないユーザーを対象に、リモコン付きサポート機器(スティック端末)の代金を2年後にキャッシュバックするような思い切った販売戦略が必要です。

(ITmedia、www.NETFLIX.comより)
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灼熱の魂

 先日のブログで、「映画の話題は少し休憩します。」と書いたのですが、もう一つどうしてもブログで取り上げたい映画があり、気になっていました。それが「灼熱の魂」です。レバノン生まれの劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲「焼け焦げるたましい」(映画の原題:Incendies 火事)で 2003年映画化され、ドゥニ・ヴィルヌーヴが脚色と監督を務めました。


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 この映画の批評に以下のものがありました。無断で掲載させていただきます。

 「2時間11分間、ただただ圧倒されるばかりの映画だった。戦争を生み出す相互の憎悪、内戦を泥沼化させる憎しみの連鎖、その憎しみの時代を生き抜いた”歌う女”と呼ばれるテロリスト、そして彼女を見舞うギリシャ悲劇をも凌駕する凄惨な悲劇、そして、最後の最後に明かされる”歌う女”の慈母の如き無限の愛と浄化。これはなんという映画だろうか。こんな物凄い映画はおそらく生涯に数回しか出会えないだろう。それほど凄みを感じさせる作品である。」(管理人は不明)

 

 原作が戯曲で、もちろんフィクションなのですが、レバノン生まれの作家ワジディ・ムアワッドは、我々が接してきた外国文学の領域では、想像もできない世界を描いています。プロットも込み入っていて、映像は今流行りの時間軸が前後する構成なので、注意して観ないと混乱するかもしれません。観る時は集中して見てください。よく分からないまま結末を迎えると衝撃が薄れてしまいます。見直した場合も結末を知っているので同様です。

 ある評論家が、戦争がないと価値ある芸術は生まれないと発言していました。問題発言ではありますが、この映画も、レバノンの内戦から生まれた悲劇です。映画として大傑作かどうかは別にして、私も強い衝撃を受けました。さらにこの方の文章には次のことが書かれていました。

 「このくらいの作品になるとレビューを書くことすら困難だ。どこから書き始めたらいいのか、その時点ですでに迷ってしまう。この映画について書くことは、人間の戦争の歴史について書くことであり、宗教紛争について考察することであり、民族紛争について分析する作業だからだ。いわばそれは、人間の歴史を俯瞰する作業にも等しい。」

さらに

 「憎しみの連鎖は何も生み出さない。憎悪の連鎖は破壊しかもたらさない。だから、どこかで誰かが”憎しみの連鎖”を断ち切るしかない。無謀な試みであっても、いつか誰かが断ち切らねばならない。」

 この作品は数十年に一度の大傑作だ。端倪すべからざる偉大な作品だ。

※ 端倪すべからざる(たんげいすべからず)=物事の始めと終わりが見えず、その全貌が測り知れない。

 他人のブログを紹介するだけになってしまいましたが、私の筆力では、とてもこの映画のことは書けません。ただ衝撃が大きかったので、どうしてもブログで取り上げたかった映画です。ある人は「凄い映画を見てしまった」と書いていました。これも見ない方がよい映画かも知れません。

ウインターズ・ボーン

 しばらく前の映画なのですが、1年ほど前にDVDを見て、アメリカのミズーリー州にあるアメリカ有数の極貧地帯ヒルビリーの村のことを知り、ヒルビリー出身のダニエル・ウッドレルの同名の小説が原作でもあるので、再度じっくりと見てみました。ヒルビリーの先祖はポテト飢饉でアメリカに移民させられた、スコットランド系アイルランド人の貧農たちで、移民としては後続のため、良い耕作地にありつけず、かと言って小作人として人の下で働くことも嫌い、枯れた台地のオザークに住み着きました。独立心というよりも国家や権力への不信感が強く、血族意識の強い人々です。


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 ウィンターズ・ボーンは、殺されたかもしれない父親を探す少女の話です。救出と復讐という型のクライム・サスペンス風の出だしなのですが、少女が父親を探す目的は父親が戻らないと、家が差し押さえられ、残った家族が離散してしまうからなのです。彼女は「父親が誰かに殺されたとしても、それは父が村の掟を破ったのだから仕方がない」という姿勢です。起きていることは犯罪なのですが誰が犯罪をを犯したかではなくて、ヒルビリーの視点から現実を眺めている映画です。

 この映画は主演のジェニファー・ローレンスのことが先に話題になってしまいますが、ビリビリーとして生まれ、したたかに生きる姿を演じる彼女は、確かに感動的です。それほど可愛くもなく、セクシーでもなく、ただひたすら家族を守ろうという真摯な姿に心を打たれます。過酷な環境で懸命に生きる少女の意思の堅固さが伝わってきます。彼女はほとんど涙すら流しませんが、見ているこちらが涙ぐんでしまいます。また、脇役が皆個性があって素晴らしく迫力を感じます。

 映画を理解するのは少し手順が必要です。そこで。評論家の町山智浩氏がYouTubeで解説していますのでリンクを張っておきます。映画を見る前に予習編を、映画を見た後に復習編を見てください。一度見たことがある方も、よく分からなかった方も、この解説を見るとこの映画が理解できる思います。




 映画ランキングにはいつも「ショーシャンクの空に」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が上位を占めていますが、心にズシンとくるような映画ではないと思います。エンターテインメントとしての映画はもちろん価値があると思いますが、それ以上に自分の生きざまに問いかけてくる映画が存在します。

 もう一度見直したい映画が何本もあるのですが、DVDでも約2時間、手を抜かずに見るのは、結構エネルギーを消耗します。以前1日5本のDVDを見ていましたが、疲れ果てて体調も崩してしまいました。映画の話題は少し休憩します。

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映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」を観て思うこと

 この映画はハリソン・フォード主演のミステリー映画で、もう20年以上前に作られましたが、プロットもしっかりしていてエンターテイメントとして十分楽しめる映画です。今回は映画そのものの感想ではなく、以前からこの映画の背景、アーミッシュという集団の生活にとても興味を持っていたので、そのことを取り上げたいと思います。

 私の専門学校同級生の写真家、菅原千代志氏は『アーミッシュへの旅 私たちのなくした世界 』という本を著わしていますので、読まれた方もいるかも知れません。

 アーミッシュにはルールがあり、自動車を所有したり運転してはいけない(乗せてもらうのは良い)ので馬車に乗って移動します。プロパンガスは使いますがが、電気を使ってはいけない。電話を家に引くことも許されません。屋外に設置された公衆電話を皆で使っています。


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 写真のように皆が同じ特徴的な服を着ています。男は伸ばした髭に襟なしのボタンのない黒い上着を着て、黒い帽子を被っています。女性は長いワンピースにキャップを被り、子供たちはたいてい白いシャツに黒いベストをつけています。

 家族のコミュニティは全員が同じ農業を営むメンバーで、言葉はペンシルヴァニア・ダッチとよばれる古いドイツ語の方言で話しますが、この会話は現在のドイツ人にもまったく理解できないそうです。ところがアーミッシュは、何かを書くときは英語を使い、子供はきちんと教育されているので、英語も理解できるそうです。映画の中で、「英国人には気をつけろ」という会話が交わされますが、正式には「英語を話す人には気をつけろ」という意味です。なぜそんな生活をしているのでしょうか?そうすることによって、公害も、交通事故も、喧嘩も、犯罪もない平和な生活を守っているのです。

 ペンシルベニア州・中西部に多く住んでいますが、ペンシルベニア州はニューヨークのすぐ西側にあり、アーミッシュの人々の住む農村まで、車で1~2時間の近さです。すぐ近くであの911テロが起こっても彼らには関係のない事件なのです。アーミッシュは便利なものから距離を置くことによって昔の生活スタイルをそのまま守ろうとしています。彼らは、ほとんど300年前の生活様式を保っています。家族単位で農業を営み、自動車、電話、テレビ、掃除機、コンピューターなどの電気製品を使わない。馬車、風車、井戸水、、水車発電機などを利用し、質素な生活を送っています。経済的には農産品以外に、手作りチーズ、木製家具、パン、クッキー、キルト、絵、陶器、ろうそく、革製品などを観光客に販売して収入を得ています。家や倉庫なども集団全員で協力して建てます。

 電力の使用を拒む理由は、電灯の照明があれば、家族が別々の部屋に分散してしまい、一緒にいる時間が少なくなるからです。電気を使えば、人々はラジオ、テレビ、ビデオなどの誘惑を受けやすく、良くないものを家に持ち込むことになりかねない、というわけです。つまり、アーミッシュは現代の科学技術を拒んでいるのではなく、拒んでいるのは、これらの科学技術がもたらすマイナスの影響です。

 アーミッシュは、常に米国の主流社会から距離をおいています。彼らは法律に従って税金を納めるが、健康保険や年金などの社会保障制度に一切加入せず、政府からの福祉を一切受けていません。したがって徴兵も免除されています。

 かつては、社会から軽蔑され差別されていましたが、現在、アーミッシのほとんどが周りの住民に受け入れられています。特にこの20年来、科学技術の進歩とともに生活のリズムが加速し、人々の心身の問題が多くなるにつれて、多くのアメリカ人はアーミッシュの質朴な生活様式に関心を持つようになりました。今ではアーミッシュの手作り製品や自然栽培の農産品が人気を博し、居住地域を訪れる観光客は年々増えているそうです。

アーミッシュの生活(隠し撮り)



 文明は未来の世代に優れたものを多く残しましたが、多くの負の遺産も残しています。グローバルな競争が先進国と途上国の間で大きな格差を生み、経済成長一本やりの社会のストレスは、若い世代の高失業率にもなり、競争社会の在り方には、大きな問題があります。

 自由主義経済の成長最優先のシステムは、アーミッシュの子供の9割が、アーミッシュの生活を守る人生を選んでいることを見ても、経済成長なしでは幸せになれない、という考えかた自体、間違いではないかと思われます。アーミッシュの若者はきちんと社会の中に、自分の居場所があり幸せになることを感じているだと思います。

 多くの人々の幸せのためには、経済システムを格差を小さくする形に変なければならないことを、真剣に考える必要があります。昔の職人の世界では、人材を育てるためのシステムとして丁稚とか徒弟制度などがあり、若者はいずれは独立できるのチャンスを得られるという夢が与えられていました。今の非正規の単純労働では、若者は経験の積み重ねでいずれは一人前になれるという夢も持てない社会となってしまいました。では、どう変えていけばよいのでしょうか。このまま推移していったら未来はどうなるのでしょうか?

参考:アーミッシュとは

ニーチェの馬

 Bach,Boat,Bios & B4の意味を一通り書きましたので、少し話題を変えます。

 先日、FC2映画に不法にアップロードされた「ニーチェの馬」を見てしまいました。過去完了形を使ったのには意味があります。ハンガリーの映画監督タル・ベーラの監督としての最後の作品ということなのですが、長回しのモノクロの映像が淡々と3時間近く続きます。

 私はあまりの衝撃で、1週間くらい映画のことが頭から離れませんでした。映画を見てこのような衝撃を受けたことは過去にはありません。文字で書いたら数ページの物語なのに、こんな凄い映画が作られたことも驚きでした。

 見ない方がいい映画です。なるべく見ないでください。そう言われると見たくなるかもしれませんが、やはり見ないでください。見てはいけない映画かも知れません。

 といっても2012年キネマ旬報外国映画ベスト・テン第1位に選ばれた映画です。この年は、評判のイラン映画「別離」やベン・アフレックの「アルゴ」などが上映された年なのですが「ニーチェの馬」が第1位に選ばれました。

 映画通はデヴィッド・リンチやクエンティン・タランティーノのような難解な映画を評価しますが、それとは次元が異なります。ムチに打たれ疲弊した馬車馬を目撃したドイツの哲学者ニーチェが、それを止めに入った後に精神が崩壊したという故事をもとに作られた作品です。

「神は死んだ」と言ったニーチェの発言が反映されています。



 ニーチェは19世紀の哲学者です。50年以上前、学生時代に夢中になって読みました。リヒャルト・シュトラウスはニーチェ著作「ツァラトゥストラはかく語りき」にインスピレーションを得て交響詩を作曲しました。音楽の方が有名になってしまいましたが。

 映画の中にニーチェが出てくるわけではありません。映画の原題は「トリノの馬」で、日本語のタイトルはこの映画に相応しくありません。

 この映画を見た人の感想は、全くつまらないか、最高の評価をするかどちらかに分かれます。もちろんエンターテインメントではないので見ても満足感は得られません。私はタル・ベーラに監督の狙い通りに圧倒されてしまいました。

 以下映画.com の記事を引用させていただきます。

 通常、ティーチインは壇上で行われるが、タル・ベーラ監督は観客と同目線のフロアから質疑を受けることを主張。「この映画を通して人生のロジックを語りたかった。私は見えているもの、人生がどういう道をたどるのかシンプルに捉えているだけ。観客の尊厳を守りながら、自分の抱えている痛みも分かち合う。これこそが真の映画作りのロジックだ」と持論を展開した。モノクロームを選択した理由については、「私にとっては白黒の方が撮りやすい。カラーはたまにカラフルすぎてプラスチックのような違和感を感じる」と説明した。

 さらに議論は深まり、「聖書には、神が6日間でこのクソみたいな世界を作ったという創世記がある。この映画はその時間を逆行していて、日々のうちに何かを失い、やがて終末を迎える。我々は毎日同じような日々を過ごしていると思い込みがちだが、人生は毎日変わっていくもの。余生は日々短くなり、私を含めみんなが孤独な終わりを迎える。このような問いかけに触れたかった」と人生論にまで及んだ。(映画.com 2011.11.24)

ニーチェの馬 予告編


 私はこれからこの映画のDVDを買いに行きます。もう一度見るためではなくDVDを手元に置いておきたいからです。