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紅白歌合戦でサザンが歌った「ピースとハイライト」の歌詞の意味は?

(水島宏明 法政大学教授ーThe Huffington Postより転記)



当初の出場歌手には入っていなかったのが、きゅうきょ紅白に出場することになったサザンオールスターズ。

 横浜からの中継で登場したサザンオールスターズの桑田圭祐が歌った「ピースとハイライト」が目を引いた。

強いメッセージ性を持った「ピースとハイライト」の歌詞。

 現在のどこかキナ臭い時代への批判精神に満ちたものだった。「教科書」「歴史を照らし合わせる」など、今の時代を表す言葉が次々に出てくる。


ピースとハイライト.png 

                  *著作権保護のため歌詞の印刷行為を禁止しています。

「都合のいい大義名分」という歌詞では、「大義名分」を「かいしゃく」と歌った。

 まるで2014年に起きた「ある出来事」とも符号する。

 「癒合のいい解釈」で憲法が事実上変更された、とされた出来事だ。

 もっともこの歌が発表されたのは2013年6月。

 発表後には「歌詞に政治色が強い」などと一部から批判も出ていた。


「硬い拳を振り上げても」というフレーズは、日本と周辺国の指導者たちをたしなめる言葉に聞こえている。

「裸の王様牛じる世」という言葉も、各国の指導者たちの顔が浮かんでくるではないか。

 国同士がいがみ合ったり、拳を振り上げるでのはなく、お互いに理解し合えばいい。

 そんな歌詞が大晦日の全国のお茶の間に届けられた。

 現在、日本は近隣諸国との間で領土をめぐって緊張が高まっている。

 歴史認識でも近くの国同士が批判し合っている。

 そんななかで日本も武器輸出が容認され、アメリカ軍との連携がますます進み、軍事色は一気に強まっている。

 「愛の力」で現状を変えていこうと訴えるこの歌の歌詞。

ジョン・レノンの「イマジン」を思い起こさせる曲だ。

 日本では珍しい平和へのメッセージソング。

 その歌詞の意味を改めて噛み締めたい。

 歌ったサザン、そして放送したNHKの勇気が伝わってきた。

そういう意味では2014年大晦日の紅白歌合戦は、歴史的な一瞬があった。

水島宏明

法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

1957年生まれ。東大卒。 ロン ドン、ベルリン特派員を歴任。

『ネットカフェ難民』の名づけ 親として貧困問題や環境・原子力のドキュメンタリーを制作。芸術選奨・文部科 学大臣賞受賞。2012年から法政大学社会学部教授。

<「紅白歌合戦」テレビマンのしたたかさ>サザンオールスターズを出演させ「ピ-スとハイライト」を選曲した快挙(BLOGOSより転記)

榛葉健[ テレビプロデューサー/ドキュメンタリー映画監督]

 あっぱれ「NHK紅白歌合戦」! 何とサザンオールスターズが出演した。なんと31年ぶり。新聞のテレビ欄のリストにも紹介されていない文字通りのサプライズだ。でもその裏には、テレビマン達のしたたかな戦いがあったのではないか、と小生は推理した。

 歌ったのは「ピ-スとハイライト」と「東京VICTORY」。中でも「ピ-スとハイライト」は、2013年8月に発売された時、東アジアの政情が不安定化する中、政治風刺が強いと話題になった曲だ。

 ミュージックビデオでは、パロディーで、アメリカのオバマ大統領と中国の周近平国家主席の「顔」が争ったり、安倍首相と朴槿惠(パク・クネ)韓国大統領がパン屋でつばぜり合いをする小芝居が出て来る。

 番組では司会が「サザンの出演は、この1、2日の間に決まった」と言っていたが、民放に比べて何倍もの準備をするNHKのこと。水面下でギリギリの交渉と周到な用意がなされていたことは容易に想像がつく。

 昨今、NHKは、時の政府の意向のもとでがんじがらめになってきている。本来彼らは、国営放送でもなければ政府の代弁機関でもない。戦前の体制翼賛的な放送に堕したことへの反省も含め、戦後は公共放送として独自の意思決定で放送してきた。だが、このところ予算の国会承認や経営委員の人選などを通じて、陽に陰にNHKを意のままに操ろうとする為政者の言動が目立っていた。

 そこで「ピースとハイライト」だ。誰が選曲したのかは分からない。とはいえ、バンド、テレビマンなど現場の熱きカウンターパンチが十分見て取れる。国民のほぼ2人に1人が見る年間最高視聴率レベルの番組で堂々と放送する、巧みなやり方だ。

我々表現の世界にいる者たちが何よりも大切にしたいのは、「あらゆるものから自由でいること」だ。表現を支配する動きがあるから、こうした反作用が起きた、と筆者は見た。

 でも当の制作者は、きっとこう言うだろう。

「良い歌だったから採用しただけのこと。それにサザンは、紫綬褒章を受章しているしタイムリーだった」と。優れたテレビマンはしたたかだ。タダでは転ばない。

 いいものを見せてもらった。

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失われた平等を求めて

(朝日新聞Digitalより転載)

 自由と平等。民主主義の理念のうち、自由がグローバル時代の空気となる一方、平等はしばらく影を潜めていた。だがその間、貧富の差や社会の亀裂は拡大し、人々の不安が高まった。そこに登場したのが大著「21世紀の資本」。不平等の構造をあざやかに描いた著者のトマ・ピケティ教授は「私は悲観していない」という。



■競争がすべて?バカバカしい

 ――あなたは「21世紀の資本」の中で、あまりに富の集中が進んだ社会では、効果的な抑圧装置でもないかぎり革命が起きるだろう、と述べています。経済書でありながら不平等が社会にもたらす脅威、民主主義への危機感がにじんでいます。

 「その通りです。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません」

 「人は何らかの方法で不平等を正そう、それに影響を及ぼそうと多様な制度を導入してきました。本の冒頭で1789年の人権宣言の第1条を掲げました。美しい宣言です。すべての人間は自由で、権利のうえで平等に生まれる、と絶対の原則を記した後にこうあります。『社会的な差別は、共同の利益に基づくものでなければ設けられない』。つまり不平等が受け入れられるのは、それが社会全体に利益をもたらすときに限られるとしているのです」

 ――しかし、その共同の利益が何かについて、意見はなかなか一致しません。

 「金持ちたちはこう言います。『これは貧しい人にもよいことだ。なぜなら成長につながるから』。近代社会ではだれでも不平等は共通の利益によって制限されるべきだということは受け入れている。だが、エリートや指導層はしばしば欺瞞(ぎまん)的です。だから本では、政治論争や文学作品を紹介しながら社会が不平等をどうとらえてきたか、にも触れました」

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 「結局、本で書いたのは、不平等についての経済の歴史というよりむしろ政治の歴史です。不平等の歴史は、純粋に経済的な決定論ではありません。すべてが政治と選択される制度によるのです。それこそが、不平等を増す力と減らす力のどちらが勝つかを決める」

 ――最近は、減らす力が弱まっているのでしょうか。

 「20世紀には、不平等がいったん大きく後退しました。両大戦や大恐慌があって1950、60年代にかけて先進諸国では、不平等の度合いが19世紀と比べてかなり低下しました。しかし、その後再び上昇。今は不平等が進む一方、1世紀前よりは低いレベルです

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 「先進諸国には、かなり平等な社会を保障するための税制があるという印象があります。その通りです。このモデルは今も機能しています。しかし、それは私たちが想像しているよりもろい」

 「自然の流れに任せていても、不平等の進行が止まり、一定のレベルで安定するということはありません。適切な政策、税制をもたらせる公的な仕組みが必要です」

 ――その手段として資産への累進課税と社会的国家を提案していますね。社会的国家とは福祉国家のことですか。

 「福祉国家よりももう少し広い意味です。福祉国家というと、年金、健康保険、失業手当の制度を備えた国を意味するけれど、社会的国家は、教育にも積極的にかかわる国です」

 ――教育は不平等解消のためのカギとなる仕組みのはずです。

 「教育への投資で、国と国、国内の各階層間の収斂(しゅうれん)を促し不平等を減らすことができるというのはその通り。そのためには(出自によらない)能力主義はとても大事だとだれもが口では言いますが、実際はそうなっていません」

 「米ハーバード大学で学ぶエリート学生の親の平均収入は、米国の最富裕層2%と一致します。フランスのパリ政治学院というエリート校では9%。米国だけでなく、もっと授業料の安い欧州や日本でも同じくらい不平等です」

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 ――競争が本質のような資本主義と平等や民主主義は両立しにくいのでしょうか。

 「両立可能です。ただしその条件は、何でもかんでも競争だというイデオロギーから抜け出すこと。欧州統合はモノやカネの自由な流通、完全な競争があれば、すべての問題は解決するという考えに基づいていた。バカバカしい」

 「たとえばドイツの自動車メーカーでは労組が役員会で発言権を持っています。けれどもそれはよい車をつくるのを妨げてはいない。権限の民主的な共有は経済的効率にもいいかもしれない。民主主義や平等は効率とも矛盾しないのです。危険なのは資本主義が制御不能になることです」

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■国境超え、税制上の公正を

 ――税制にしろ社会政策にしろ、国民国家という土台がしっかりしていてこそ機能します。国民国家が相対化されるグローバル時代にはますます難しいのでは。

 「今日、不平等を減らすために私たちが取り組むべき挑戦は、かつてより難しくなっています。グローバル化に合わせて、国境を超えたレベルで税制上の公正を達成しなければなりません。世界経済に対して各国は徐々に小さな存在になっています。いっしょに意思決定をしなければならない」

 ――しかもそれを民主的に進める必要があります。

 「たやすいことではありません。民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。今日の大きな課題は、いかにして国境を超える規模の政治共同体を組織するかという点にあります」

 ――可能でしょうか。

 「たとえば欧州連合(EU)。仏独が戦争をやめ、28カ国の5億人が共通の制度のもとで暮らす。そしてそのうちの3億人が通貨を共有する。ユートピア的です」

 ――しかし、あまりうまくいっているようには見えません。

 「ユーロ圏でいうと、18の異なった公的債務に、18の異なった金利と18の異なった税制。国家なき通貨は危なっかしいユートピアです。だから、それらも共通化しなければなりません」

 ――しかし、グローバル化と裏腹に多くの国や社会がナショナリズムにこもる傾向が顕著です。

 「ただ、世界にはたくさんの協力体制があります。たとえば温室効果ガスの削減では、欧州諸国は20年前と比べるとかなり減らしました。たしかにまだ不十分。けれど同時に、協力の可能性も示してもいます」

 ――あなたは楽観主義者ですね。

 「こんな本を書くのは楽観主義の行為でしょう。私が試みたのは、経済的な知識の民主化。知識の共有、民主的な熟議、経済問題のコントロール、市民の民主的な主権、それらによってよりよい解決にたどり着けると考えます」


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■民間資産への累進課税、日本こそ徹底しやすい

 ――先進国が抱える巨大な借金も再分配を難しくし、社会の不平等を進めかねません。

 「欧州でも日本でも忘れられがちなことがある。それは民間資産の巨大な蓄積です。日欧とも対国内総生産(GDP)比で増え続けている。私たちはかつてないほど裕福なのです。貧しいのは政府。解決に必要なのは仕組みです」

 「国の借金がGDPの200%だとしても、日本の場合、それはそのまま民間の富に一致します。対外債務ではないのです。また日本の民間資本、民間資産は70年代にはGDPの2、3倍だったけれど、この数十年で6、7倍に増えています」

 ――財政を健全化するための方法はあるということですね。

 「日本は欧州各国より大規模で経済的にはしっかりまとまっています。一つの税制、財政、社会、教育政策を持つことは欧州より簡単です。だから、日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を持とうと決めることができます。そのために世界政府ができるのを待つ必要もないし、完璧な国際協力を待つ必要もない。日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです」

 ――ほかに解決方法は?

 「仏独は第2次大戦が終わったとき、GDPの200%ほどの借金を抱えていました。けれども、それが1950年にはほとんど消えた。その間に何が起きたか。当然、ちゃんと返したわけではない。債権放棄とインフレです」

 「インフレは公的債務を早く減らします。しかしそれは少しばかり野蛮なやりかたです。つつましい暮らしをしている人たちに打撃をもたらすからです」

 ――デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。

 「グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう」

 ――それは政策としては難しそうです。

 「私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。たとえば、50万ユーロ(約7千万円)までの資産に対しては0.1%、50万から100万ユーロまでなら1%という具合。資産は集中していて20万ユーロ以下の人たちは大した資産を持っていない。だから、何も失うことがない。ほとんど丸ごと守られます」

 「インフレもその文明化された形である累進税制も拒むならば大してできることはありません」


 トマ・ピケティ(Thomas Piketty、1971年生まれ )は、フランスの経済学者。クリシー出身。経済学博士。パリの高等師範学校の出身で、経済的不平等の専門家であり、特に歴史比較の観点からの研究を行っている。2002年にフランス最優秀若手経済学者賞 (Prix du meilleur jeune économiste de France) を受賞。パリ経済学校 (École d'économie de Paris, EEP) 設立の中心人物であり、現在はその教授である。また、社会科学高等研究院 (EHESS)の研究代表者でもある。

 不平等の拡大を歴史データを分析して示した「21世紀の資本」(邦訳、みすず書房)は世界的な話題に。同書より前に著した論文は、金融資本主義に異議を申し立てた米ウォール街でのオキュパイ運動の支えになったともいわれる。