自由からの逃走

フロイトとフロムの分析

 ジークムント・フロイトは1930年代にナチスの勃興を見て、独裁的な指導者が持つ危険な魅力と、その信奉者が1つのイデオロギーや集団に自分の人格を組み込んだ時に経験する自己肥大の満足感について説明しました。こうした信奉者にとって、自由とは心理的に負担となる条件なのです。


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 フロイトの門弟の1人、エーリッヒ・フロムの有名な主張にあるように、厳格な信条や服従の規範を選ぶことで自由な選択の必要性から逃れようとする衝動は、強い自律的アイデンティティーの意識や自ら考える能力が十分に発達していない人にとっては、特に抑え難いものなのです。

 現代の民主主義国は、前例がないほどの自由を人に与えてきました。社会の構成員に求める忠誠がこれほど少なく、共通の規範を提案することがこれほど稀で、行動指針を強制することがこれほどない政治共同体の形は、これまで経験がありません。

 生活のほぼすべての側面――道徳、礼儀、性的指向、家族構成、キャリア、信仰など――において、我々は基本的に自分の好きなように振る舞うことができます。

 これは豊かな生活をはぐくむうえで極めて望ましい状態のように思われるかもしれません。しかし、過去数十年間で、民主主義国は著しいアイデンティティーの危機を経験してきました。

 それは体系的な倫理原則をはっきり示したり、国際舞台に民主主義の価値観を投影したりすることを避ける姿勢に表れています。

 民主主義社会の内部では、政治制度離れが広がり、一部の市民、特に若者の間に根本的な不信感が募っています。

 また、心理的な機能障害が世間にあまねく増えているようにも見えます。その症状は拒食症や肥満から注意欠陥多動性障害(ADHD)、蔓延するうつ病までさまざまで、すべてが向精神薬の消費を爆発的に増大させています。

 たとえ、それが貧困層のみならず中間層にも広がっているという理由だけだったとしても、このような症状や症候群を純粋に経済的な観点で理解することはできません。

 しかし1つ考えられるのは、制約のない自由と高い寛容性という精神は、一部の人に絶え間ない個人的選択の要求とプレッシャーに耐え得るアイデンティティーの確立に必要な精神的な足場を、与えられないということです。

絶え間ない選択のプレッシャー

 我々は、他者との関係において自己のアイデンティティーを確立していきます。文化的な前提、知識、強い願望の組み合わせが我々の世界観を構築し、心理的、道徳的な指向を与えてくれます。

 現代の開放的な多文化社会では、問題が些細なものであっても、根本的なものであっても、選択する必要性は常に存在します。

 しかし、例えば、いかにして満足感を得るか、あるいはいかにして人生の舵を取るかということに関し、判断のベースとなる共通の文化的規範がなければ、どうやって選択の良し悪しを区別できるのでしょうかか?何が正しくて何が間違っているのか、何がまともで何が虚偽なのか?



 ある意味で、狂信的なイデオロギーを受け入れることを選んだ人は、厳格な信条により自発的な思考や選択の負担からその信奉者を解放します。

 民主的な社会が狂信的な大義とその指導者の訴求力に対抗できるのは、無頓着な寛容性ではなく、今より大きな自信と信念を通じてです。対処できるのは、民主主義の理念に対する新たなコミットメントだけです。

(Project Syndicate/Institute for Human Sciences, 2014.より要約)


参考:E・フロム『自由からの逃走』の解説  続きを読むに記載

E.フロム『自由からの逃走』

自由からの逃走とは

 戦時中の1941年に発表されたE.フロムの『自由からの逃走』はファシズムの研究、特にドイツのナチズムの研究でが、現代の日本および世界の情勢を理解するために、イデオロギーとは別の視点で、「人間的な問題」から考察するヒントになると思い、manapediaより転載します。

ナチズムの勃興

 第一次世界大戦後、ヨーロッパを中心にファシズムが台頭しました。ファシズムというのはいわゆる全体主義の思想です。個人に対して、全体、つまり国家や民族が優位に立つという考え方です。1929年の世界恐慌と、その後の社会不安でイタリア、ドイツ、スペイン、日本などで急速にファシズムは広がりました。

 フロムが取り上げているナチズムの中心人物はヒトラーですが、彼の率いる国家社会主義ドイツ労働党はもともと少数派の政党でした。しかし恐慌後、わずかな時間で急激に支持を受けて巨大化し、1932年の総選挙で第一党となり、33年には独裁体制をとるまでになりました。この支持の中心となったのは都市の下層階級に位置する人々でした。

フロムの研究

 ファシズムを正しく理解するために、社会的・経済的な条件からなど様々な面から研究がされています。フロムは社会的や経済的な理由だけでなく、人々のナチスの熱狂的な支持には「人間的な問題」があると考えました。

 ファシズムを支持し、その支配に服するということは、人々が進んで自身の自由を捨てるということです。つまり自由を尊重し、求め、生きていくはずの近代人がなぜそのような行動に走ったのかということが問題となってきます。これが、「人間的な問題」です。この問題に答えるためにフロムは、自由が二つの面を持っているということを指摘しました。

自由の二面性

 自由とは、近代人の求める理想です。またそれは何にも支えられない価値を持っています。 しかし一方で、自由であるということは、自然や他者との安定した結びつきから切り離され、一人で生きていくという側面も持っています。自由は人々の追い求める理想であると同時に、集団という安定した土台を壊してしまう二面性を持ったものだったのです。

近代初期ヨーロッパの自由獲得の例

 ヨーロッパの中世封建社会では、家族、地域、共同体、協会、ギルドなど様々な強力に結びついた集団の中で生活しており、個人の自由というのは制限されていました。しかし資本主義社会が浸透してくるにつれ、中世社会の集団の構造は崩れ、それと同時に人々は自由を獲得し始めたのです。それは社会的制約を受けていた個人を解放することであり、また一方で集団という保護を失うことでもありました。

 今まで頼ることができた集団が失われてしまうと、人々の心の中には不安や孤独、無力感が生まれてきました。一部の人々(特に新しい資本家層)は獲得された自由の中で、充実した生活を送ることができ、まさに「解放」されていました。

 しかし都市の中産階級や貧困層、あるいは農民のなかには新しい自由を享受できない人も少なくありませんでした。彼らにとって自由は、孤立感、不安、無力、頼りなさを増加させるものでしかなかったのです。この、自由に不安を覚えてしまう状況を、近代初期の「自由からの逃走」と言います。

ナチズムの人間的基盤

 ナチズム支持の中心となったのは小さな商店主、職人、ホワイトカラー労働者などから成る下層中産階級でした。ヒトラーとナチスは彼らに最も歓迎されていました。第一次世界大戦後のワイマール共和制によって与えられた自由が彼らにはむしろ「重荷」であったのです。

 君主制の崩壊、宗教や伝統的な道徳の衰弱、家父長的な家族制度の解体といった自由への動きは、集団の中で「安全感と自己満足的な誇りを獲得していた」下層中産階級の人々を動揺させ、不安に陥れました。またインフレ、独占資本主義の発展、大恐慌の不安が経済生活を脅かし、労働者階級の台頭が下層中産階級の威信を下落させました。このように生じた無力感、不安、社会的全体からの孤立感が「偉大なドイツ帝国」「偉大な指導者ヒトラー」への献身を呼びました。ナチズムの発展にはこのような社会的背景があったわけです。

権威主義的性格

 フロムはナチズムを歓迎した下層中産階級の人々が、自由から逃走しやすい性格、自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めやすい性格であるとし、これを「権威主義的性格」と名付けました。この性格の持ち主は権威を好みます。一方で「権威をたたえ、それに服従しようとする」と同時に、他方では「自ら権威であろうと願い、他のものを服従させたいとも願っている」。つまり、自分より上のものには媚びへつらい、下のものには威張るような人間の性格です。

(体育会系といわれる人たちの性格とも一致します。企業経営者には歓迎されますが、経営のブレーンには不適です)

 ここで定義されたこの性格は、一人一人の個人的性格ではなく、あくまでも第一次世界大戦後のドイツの下層中産階級の人々に共通して得られた性格、社会的性格のことを指しています。社会的性格とは、ある集団の成員たちがそれぞれに持つ個人的性格から、全員にほぼ共通する特徴的な傾向を抜きだしたもののことをいいます。

この権威主義的性格こそ、ファシズム支持の基盤となったものだとフロムは言います。

 フロムはナチズム支持した人々を理解するために、人間的な問題を研究しました。そこで自由の持つ二面性(理想としての自由・不安、孤独、無力感を生む自由)を見出し、今まで集団の中で生きてきた人々は、自由を与えられると、そこから逃げ出そうとする(自由からの逃走)ことを指摘しました。

 また自由から逃げ出した人々は、権威主義的性格を社会的な集団として有しているともフロムは指摘しています。新しい従属や依存を求めて権威に服従するとともに自分が権威であろうとする傾向のことです。

 ナチズムはこのような人間の性質が基盤となってその勢力を増し、人々はその支配に喜んで服することとなりました。
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