日本の「忘れ去られた英雄」

 “報われない” “日陰者”という意味の“Unsung”という形容詞を冠せられた主人公は、1980年代に「フラッシュメモリ」を開発し、世界を凌駕した舛岡富士雄です。シリコンバレーのコンピュータ歴史博物館でも日本発の技術として初めて殿堂入りした、世界的ヒーローの成した偉業は、なぜ、日本であまり知られていないのしょうか。


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 2001年、フラッシュメモリの市場規模は、760億ドル(9兆1,200億円)に達しました。自動車やコンピュータ、携帯電話など総額3兆ドル(360兆円)以上の商品にフラッシュメモリが組み込まれました。半導体分野に新風を巻き起こした、そのフラッシュメモリの生みの親が、舛岡富士雄です。

 フラッシュメモリは、1980年代の半導体分野における最も重要な技術革新です。その発明者である舛岡は、巨万の富を得ているはずだと思うかもしれません。しかし、現在72歳になる舛岡が暮らすのは、その常識が通用しない、日本なのです。

 フラッシュメモリを発明した舛岡に対して、雇用主である東芝が支払った報奨金はわずか「数百ドル(数万円)」です。フラッシュメモリ市場は、すぐにライバルであるインテルに奪われました。さらに東芝はその後、舛岡を研究の続けられないポストに左遷しようと、何度も試みました。

 しかし、東芝はこれを否定しています。広報担当者は本誌に対し、フラッシュメモリを発明したのはインテルであると、繰り返し主張しました。一方インテルは東芝がフラッシュメモリを発明したと主張しているのです。

 97年、ニューヨークの米国電気電子学会(IEEE)は東芝在籍中のフラッシュメモリ発明の業績をたたえ、舛岡にモーリス・N・リーブマン賞を贈与しています。そこで、東芝にこの点を改めて問いただすと、フラッシュメモリを発明したのは東芝であることを認めたうえで、東芝は先行利益を守りきれなかったと語りました。

 この舛岡富士雄を巡る物語から浮かび上がるのは、既存の製品の応用を重視するあまり、基礎研究を怠り、米国との半導体戦争に敗れた日本の姿です。

 日本で業績を正しく評価されないことに不満に感じている研究者は、舛岡だけに留まりません。青色LEDを発明した中村修二は、01年、特許の帰属を巡り、勤務していた日亜化学工業を相手に訴訟を起こしました。そして、中村は現在、米国で暮らしています。

 舛岡は東北大学で博士号を取得し、71年に東芝に入社。その僅か4カ月後、SAMOSと呼ばれるタイプのメモリを発明。さらに、入社5年で、別のタイプのメモリ開発にも成功した舛岡は、その後、半導体製造部門に異動となり、そこで、1メガビットのDRAMを開発しました。

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 しかし、彼が情熱を注ぎ込んだのは、電光石火(フラッシュ)のようにひらめいた自らのアイデアでした。

 84年、サンノゼで開催された国際電子デバイス会議(IEDM)で、舛岡が自ら開発したフラッシュメモリを発表すると、米国の半導体業界に衝撃が走りました。

 舛岡の上役たちの見込みに反し、この会議の終了後、東芝には、インテルなど、米国のコンピュータ関連会社や自動車メーカーなどから、サンプルに関する問い合わせが殺到。インテルはすぐさま300名のエンジニアをフラッシュメモリの開発に専従させました。

 一方、東芝は「非専従のスタッフ5名を配置してくれました」と舛岡は語ります。舛岡のグループは、他社に先駆けて、フラッシュメモリを市場に投入しましたが、インテルはすぐに巻き返し、この市場を制しました。

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 舛岡には、米国企業からスカウトの話もありましたが、「当時、日本では、会社を辞めるという選択肢が一般的ではありませんでした」と語ります。

 ところが、新型メモリを市場に投入した90年、当時47歳で円熟期に入っていた舛岡に対して、東芝は部下のいないポストへの「昇進」を受けるよう迫り始めました。

 「会社から『お前はもう必要ない』と言われたということです。昇進とは名ばかりの、部下も同僚もいないポストに私を追いやろうとしました。エンジニアにとって、それは死を意味します。当然、私は納得がいかず、自分の上司を飛び越して、その上に不満をぶつけ、3年間、抵抗しました。しかし、結局は、『チームの和を乱し、命令に従わないなら、独りで勝手にやれ』というのが会社の結論でした」。

94年、舛岡は東芝を退社し、東北大学の教授に就任しました。

 しかし、東芝の言い分は異なります。広報担当者によると、舛岡が打診されたのは、部下の教育が可能なポストへの昇進であるうえ、「当時、フラッシュメモリの市場はさほど大きなものではなく」、東芝の屋台骨を支えていたのはDRAMであったといいます。

 東芝は01年12月、DRAM事業から撤退し、フラッシュメモリに重点的に経営資源を投入すると発表しました。

 02年現在、東芝のメモリチップの売上高は、年間12億ドル(1,440億円)に達しており、金額は明らかにされていないものの、その中には他のメーカーから得ている特許使用料も含まれます。


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 フラッシュメモリの市場は数年以内に1,500億ドル(18兆円)に達し、NAND型のシェアはさらに拡大すると予想されます。NAND型のシェアが拡大するに伴い、東芝の利益も増加しますが、舛岡の手にその一部がわたることはありません。

(中略)

 しかし舛岡は、過去に囚われることなく、未来を見つめています。現在、舛岡は189件の特許を保有しており、その他に50件の特許を申請中です。さらに、まだ明らかにしていない最大の発明も控えています。

 舛岡は、過去8年間、東北の地で、3次元設計の新たなシリコン半導体テクノロジーに取り組んできました。

 自らを売り込むことは、舛岡が苦手とする分野ですが、今回、舛岡は、新たな発明の設計図面を実際の生産に移すために必要な資金を提供してくれるベンチャー・キャピタルを見つけたいと考えています。3次元デバイスの生産に必要な資金は、4,000万~8,000万ドルにもなります。

 皮肉にも、彼の新しい発明から生み出される利益を最も多く手にするのは、またしても米国企業になりそうです。

 出る杭は打たれるという言葉通りの状況を嘆く日本人は少なくありませんが、今もなお、多くの日本人が、個を殺すことを求められています。

(Forbesより)ベンジャミン・フルフォード = 文 松永宏昭 = 翻訳
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