おそろしき終末、汝らに近づけり(BWV90)

 今日聴く日曜カンタータは1723.11.14、三位一体主日後第25主日に初演された、教会暦における最後の新作カンタータです。

 ライプツィヒ着任後トーマス・カントルとしてのBACHの仕事は、三位一体主日後第1主日に始まりました。BWV90はこの頃書かれた室内カンタータの中でも、規模は小さいのですが、福音書の章句の内容に密着して書かれた音樂は、強い表現力と高い密度を持っています。



 当日の福音社の章句はマタイ福音書の一節で「少黙示録」と呼ばれる週末描写の一部で、やがて起こる「大きな苦難」が、イエスの口を通して語られてゆきます。台本はこれをふまえ、罪人としてのキリスト者たちに、裁きと滅びを警告します。


 イシュト・バーン指揮、ムジカ・ヴィヴァクス・ウイーンの演奏会録画でお聴きください。歌手はイングリット・ケルテシ(S)、 ヘルミーネ・ハーゼルベック(A)、ゾルターン・メジェシ(T)、ガボール・ブレッツ(B)で3人は指揮者と同じハンガリー出身です。弦楽器はモダン楽器を使っていますが、ガット弦を張り、バロックピッチで演奏しています。最後の合唱は各パート一人づつのOVPPです。




1.アリア(テノール)

恐ろしい終わりがお前たちを引きさらう、

罪深い、侮る者たちよ。

 罪の秤はすでに振り切れている、

  それなのにお前たちのかたくなな思いは

  裁き主をきれいに忘れたままなのだ。

2.レチタティーヴォ(アルト)

いと高き者の慈しみは

 日ごとに新たにされる。

しかし恩を仇にする心は罪を犯す、

 たえぎる恵みの上で。

おお、これほど絶望的な損害はない、

それはお前を滅びへともたらすのだ。

ああ!お前の心は動かされないのか、

神の慈しみがお前を

真の改俊へと導くというのに?

神の信実の心は、おのれを

数限りない善行の形で開示し、

あるときは神殿を建てさせ、

あるときは緑の野を備えて

御言葉のマナをお降らせになる。

このマナが、お前を養うのだ。

にもかかわらず、おお、この生のたちの悪さよ、

その善行が、お前のもとで空しいとは。

3.アリア(バス)

そこで報復の裁き主が乗り出し

御言葉の燭台を

 懲罰のためお消しになる。

  お前たちは、おお罪びとよ、

   お前たちの落ち度によって

  聖なる宮の残虐行為を、

   甘受しなくてはならないのだ。

  お前たちが神殿を

  殺しの家と化してしまったのだ。

4.レチタティーヴォ(テノール)

だが、神のまなざしは私たち、

 選ばれた者の上に注がれている。

たとえ誰にも

 数え切れないはどの敵が押し寄せても、

イスラエルの勇士は、

 私たちを守ってくださる。

勇士の腕は敵の動きを妨げ、

私たちを助け起こしてくださるのだ。

御言葉の力は危険の中でこそ

ますます知られ、明らかとなってゆく。

5.コラール

右の御手で私たちを導き、

町と国とを祝福してください。

私たちにいつも、聖なる御言葉を与えてください。

悪魔の悪だくみと殺戮から守り、

幸いな最期の刻を与えてください、

私たちが永遠にあなたのもとにあるように。

                        訳詞:磯山 雅


マタイによる福音書 24章 15-28

大きな苦難を予告する

「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、-読者は悟れ-、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。あなたがたには前もって言っておく。だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。死体のあるところには、はげ鷹が集まるものだ。」

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