かくも神は世を愛したまえり(BWV68)

 聖霊降臨祭2日目に聴くカンタータは、1725.5.21にライプツィヒで初演されました。ライプツィヒの女流詩人マリアーネ・フォン・ツィーグラーの歌詞によって作られた9曲のカンタータの一つで、その歌詞はペリコーペ(礼拝で朗読する聖書の段落)に密着したものです。


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 この作品は、愛の使徒ヨハネが書き残したもっとも美しい言葉「それ神はその独り子を賜ふほどにほどに世を愛し給えり、全て彼を信ずる者の亡びずして永遠の命を得んためなり」で始まります。この言葉はイエス降誕の意義の確認であり、普通は否定的に把握される「この世」が、愛の中で述べられます。 


 クリストフ・コワン指揮、アンサンブル・バロック・ド・リモージュ、バルバラ・シュリック(S)、ゴットホルト・シュヴァルツ(B)の演奏でお聴きください。


https://youtu.be/0fIp1VEbHBg



かくも神は世を愛したまえり(BWV68)

第1曲 コラール合唱

Also hat Gott die Welt geliebt,

神は人の世を愛すればこそ、

 daß er uns seinen Sohn gegeben.

 私たちに御子をお与えになりました。

Wer sich im Glauben ihm ergibt,

御子を信じて、みずからを捧げる者が、

 der soll dort ewig bei ihm leben.

 やがて御子のもとで永遠に生きるようにと。

Wer glaubt, das Jesus ihm geboren,

自分のためにイエスが生まれたのだと信じる者は、

 der bleibet ewig unverloren,

 永遠に滅びることがありません。

und ist kein Leid, das den betrubt,

いかなる苦悩も悲しませることはできないのです、

 den Gott und auch sein Jesus liebt.

 神と、御子であるイエスがともに愛する者を。

第2曲 アリア(ソプラノ)

Mein gläubiges Herze,

信仰深きわが心よ、

frohlocke, sing, scherze,

喜び躍れ、歌え、楽しめ、

 dein Jesus ist da!

 あなたのイエスはそこにおられる。

Weg Jammer, weg Klagen,

哀しみよ去れ、嘆きよ去れ、

ich will euch nur sagen:

私はおまえたちにきっぱりと言いわたそう、

 Mein Jesus ist nah.

 私のイエスはすぐそこにおられると。

Mein gläubiges . .

信仰深き . . .

第3曲 レチタティーヴォ(バス)

Ich bin mit Petro nicht vermessen,

私はペトロとともにへりくだって、

was mich getrost und freudig macht,

私を慰め、喜ばせる方(聖霊)を迎え入れよう、

 das mich mein Jesus nicht vergessen.

 私のイエスがいつも私を覚えていて下さるように。

Er kam nicht nur, die Welt zu richten,

主は決して世を裁くために来たのではない、

nein, nein, er wollte Sund und Schuld

いやそれどころか、世を罪と咎(とが)から救うため

als Mittler zwischen Gott und Mensch

みずからが神と人との間の仲介者となって

 vor diesmal schlichten.

 定められた時に仲裁することを望まれたのだ。

第4曲 アリア(バス)

Du bist geboren mir zugute,

あなたは私を赦すために生まれてきた、

 das glaub ich, mir ist wohl zumute,

 そう信じると私は幸せな気持ちになります、

weil du vor mich genung getan.

あなたが私のために償いを果たして下さったから。

Das Rund der Erden mag gleich brechen,

たとえ地球が壊れようと、

 will mir der Satan widersprechen,

 たとえサタン(悪魔)が私に異議を唱えようと、

so bet ich dich, mein Heiland, an.

私はあなたを、わが救い主よ、慕い続けます。

Du bist geboren . . .

あなたは . . .

第5曲 合唱

Wer an ihn glaubet,

御子を信じる者は、

 der wird nicht gerichtet;

 裁かれることがない。

wer aber nicht glaubet,

信じない者は、

 der ist schon gerichtet;

 すでに裁かれている。

denn er glaubet nicht an den Namen

なぜなら、神の独り子の名を

 des eingebornen Sohnes Gottes.

 信じていないのだから。

 対訳:小林 英夫


ヨハネによる福音書 3章 16-21

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じるものは裁かれない。信じないものは既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行うものは皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行うものは光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

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